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光と影

勤めていた会社を辞めて10年経った。


仕事のプレッシャーと、上司から評価されない事からくる焦りはいつしか身体を蝕んでいった。


最初は頭痛。

痛み始めると座っている事も出来なくなり、よく職場の床に倒れるように寝ていた。

神経内科に通い、定期的にMRIを撮っても何も出ない。

代わる代わる出される薬を信じて飲んでは、今回もダメだと落ち込む事の繰り返しだった。


次は拒食。

食事を出されても喉を通らないし、食べたいとも思わなくなった。


そして不眠。

疲れが足りなくて眠れないんじゃないかと、会社から乗り換えのターミナル駅まで、会社帰りは1時間ヒールで歩いた。

でも眠れない。


おかしい。

何が起きてるのか、さっぱり分からない。

だんだん体調が悪くなって、会社で倒れる事が増える。

硬い床で天井を仰ぎながら、あの資料を作らないと…ミーティングが15時からあるから…と、自分の心配よりも、仕事の心配をしていた。


ある日の事。

恒例行事のように倒れ、いつもの天井を仰いでいると、1人の配属されたばかりの上司がやってきて、私に土下座をした。

何が起きたのか良く分からなかった。

その上司は「お願いだから、心療内科に行って欲しい」と言う。

その上司はたった1人の信頼出来る人だったので、分かりました、必ず行きますと伝えた。


後日、自宅の近所の心療内科に行き、鬱と診断される。

仕事は少し休みなさい、と。

自律神経失調症と書かれた診断書を会社に提出し、1週間の休職期間を貰った。

でも、通院する度に、休職期間は1週間、1ヶ月と延びて行き、主治医の判断が出るまで出社出来なくなった。


傷病手当で生活する日々。

早く復帰しなければという焦りと、どこからともなく湧く不安感で、常にいっぱいいっぱい。

このままではいけない、どうしたら良いんだと悩む私に突きつけられたのは、雇用契約の解除通告だった。


会社をクビになるって、結構カジュアルな感じなのね。

当時はそんな印象だった。

でも、職が無いと給与が無い。

給与が無いと生活出来ない。

私は主治医の反対を押し切って再就職した。


最初は順調だった。

でも、直ぐに不調が出る。

薬を飲んでいるのに、前の会社で倒れた時よりも体調がおかしい。

主治医に不信感を抱き始め、再就職先でまた倒れるのが恒例行事になり始めた時に、ネットの口コミが良かった病院に駆け込んだ。


新しい病院の先生は、穏やかな態度で私の話を聞いてくれた。

初診で訪れた時、割れんばかりの頭痛で、テーブルに突っ伏して体調のあれやこれやを話す私に優しい声で言った。

「このままだと死んでしまう。仕事を辞めて治療に専念して下さい」


再就職から3ヶ月余りで再び失業者になった。

貯金を切り崩しながらの生活は不安だらけな上に、病院では行くたびに病名と薬が増えて行く。

統合失調症離人症自律神経失調症…。

複数種の抗うつ剤、脳の働きを助ける謎のシロップ、睡眠薬…。

このままだと死ぬしか無いと思い、勇気を出して主治医に言うと、親身になって相談に乗ってくれた。


在職中に傷病手当を貰っていた場合、退職後も1年半、減額はあるが申請さえすれば手当が貰える事を教えて貰う。

毎月、主治医に専用の用紙に診断所見を書いて貰い、クビになった会社に送る。

2週間程で認定されて、手当が振り込まれる。

そのお金で通院し、カウンセリングにも通うようになった。

でも、良くならない。

1年半はあっという間に過ぎた。


また生活に困る状況になる。

今度は死なないと流石にダメだと思い、またその話をする。

主治医は「時間が掛かるけど、障害年金の申請をしましょう」と言った。

年金?あの60過ぎたら貰えるアレ?

知識が全く無かったので、主治医の説明と、ネットで集めた情報を基に書類集めをし、診断書を持って、社会保険事務所に行った。


重箱の隅をつつくように、書類を細かく見る目が人では無いと感じた時から半年経過した位の時に、認定証が届いた。

そこから私は障害年金で暮らしている。


体調はめちゃくちゃだったが、発症する前からお付き合いしていた人が、私を嫁に貰ってくれた。

よくもまあ、そんな勇気を私に使ってくれたものだ。


感謝しかない。


それに答えるには、1日でも早く健康な身体に戻る事だ。

地道な治療をコツコツ続け、必要最低限の薬は必要だが、元気で居られる時間が増えた。

そうなるまでに8年掛かった。


結婚して、気持ちが穏やかになると、子供が欲しいと思えるようになるのは自然な事なのだろうか。

私は主治医に子供が欲しいと告げると、「今の身体で妊娠したら、薬を飲めなくなる。そうなったらあなたが危険だし、子供は下ろさなければならない。」と言われた。


子供が作れない。

女として最悪な現実だった。


しばらくは泣いたり自暴自棄になっていたけれど、早く良くなって夢を叶えたいと思えるようになった。

民間療法を取り入れ、少しづつ減薬し、妊娠を許される状態になった。

クビになったあの年から10年経っていた。


10年間の闘病生活は、流石に身体に不安を感じる。

産婦人科で、ブライダルチェックを受けて、妊娠・出産が出来る身体か調べて貰った。


結果は、10年に及ぶ強い薬の服用により、私の生殖器官は死んでいるのも当然だった。

生理が来るから安心していたけれど、排卵はしていない。

女性ホルモンの値もおかしい。

甲状腺ホルモンもおかしい。

所謂、不妊症になっていた。


10年。

私はこの長い期間、何をして来たのだろうか。

この悲しみと怒りは、何処へ持って行けば良いのか。


クビになった会社は、保険組合が手厚いフォローをしてくれた。

だから、今から労災だと訴える気にはならないし、労災の裁判を申し立てて、お金を貰っても、この気持ちは晴れないだろう。

じゃあ、当時の上司達の謝罪を受けたら気が休まるのか?

それで済むならとっくに会いに行っているし、ぶっちゃけ顔をもう見たくない。

どうしたら納得出来るのか、ひとしきり悩んで、もう腹を括ってやれる事を全部やろうと、心療内科不妊治療専門病院と甲状腺専門病院を掛け持ちしている。


しかし、お金が足りない。

年金をやりくりしても足りず、夫に援助して貰う。

夫の給与はそんなに良い訳では無いし、自分の問題だから、自分でどうにかしたいが…仕方がない。


困った事に、今年は年金の更新の年。

細かい説明を書き込んだ診断書を年金機構に送り、生きた心地がしない半年を過ごさなければならない。

もし等級が落ちたら、消えそうな子供を授かる夢は完全に消える。


健康体に近付いて来たのだから、緩いペースでパートでも始めれば良いのかもしれないけれど、10年前の事が完全にトラウマなっていて、怖くて仕事をする事が出来ない。

また仕事中に倒れるかもしれない、また減らした薬を飲まなくてはいけないかもしれない。

恐怖に心身ともに包まれて、足を踏み出せなくなる。


10年前、クビになった会社は、希望を与え、夢を叶え、そうして生まれた製品を世界に広げる会社だった。

今の私に夢はあるか?

希望はあるか?

もう、あの頃のようには持てない。

夢は確かにあるが、冷めた目で見ている自分が寄り添うように心の中にいる。

純粋にキラキラと邁進する、あの時の自分はもう居ないのだ。


光ある所には、必ず影がある。

私はあの日、影になった。